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教育指導学(カウンセリング)講座の系譜前年度の活動概要


 

教育指導学(カウンセリング)講座の系譜


 本講座は昭和37年度より発足し、同30年3月に教育心理学第二講座の助教授として就任し、35年4月より比較教育学講座の席を借りていた池田数好教授が担当することとなった。池田教授は医学部の精神医学教室の出身であるが、本学部創立草創の時に、平塚教授、牛島教授らとともに医学部の小児科や精神科の教官らが提携して組織された「教育と医学の会」での医学畑の主要メンバーの1人であった。こうした教育学、心理学、医学の三分野の学者の提携協力による研究組織という地盤があったことが、医学者が文科系の教官として就任するという新機軸の人事となったものである。したがって本講座は他の大学における同名の講座とは異なり、人間の発達を身体的、心理的、社会的観点から探究し、その病理的な側面を解明し、人格や心理・行動が障害されている不適応の人びとに対する心理学的な援助・指導・治療のための理論的研究と臨床活動を目指すものとされた。このように今日では「心理臨床」と呼ばれている新しい学問領域を専攻するところから、別名「カウンセリング講座」とも名付けられた。これは当時わが国ではカウンセリングという外国語が定着していなかったため、括弧つ きの別称となったものである。したがってその授業では精神衛生学、異常心理学、精神生理学、心理療法論、神経症論、パーソナリティー論が講じられ、カウンセリング演習、異常心理学演習などが行われた。
 池田教授は精神病理学を専攻していた精神科医であったが、とくにわが国独自の神経症である森田神経質の理論とその治療に関する研究が高く評価されていた。本講座においてはこれらの精神医学的基礎にもとづいて、教育と医学の橋渡しとなる新分野、とくに児童相談、学生相談の領域の開発に力が入れられた。
 昭和41年4月には、やはり医学部の精神科出身の精神分析家であり、また心療内科医でもあった前田重治助教授が配置換えになって就任し、池田教授と組んで精神医学の特徴を生かしたカウンセリングの合同授業が行われるようになった。
 昭和45年11月に池田教授は九州大学長に就任し、その後47年より前田教授が講座を引き継ぐことになった。その時期の学部内の制度改革を機に、大学院においては新たに精神分析学、精神病理学、カウンセリング各論などの授業科目も加えられ、カウンセリング講座としての独自性がますます色濃くなった。前田教授は精神医学と精神分析学の基礎をふまえつつ、臨床心理学の領域に精神力動的な概念を導入し、精神分析的カウンセリングの技法を開発し発展させた。それにともない大学院生の教育訓練のために臨床実習の場が必要となってきた。
 村山正治助教授は、以前より、教養部において学生相談の臨床に携わっていたが、昭和49年4月に配置換えとなって本講座に就任した。それにともない研究室に「心理教育相談室」が設けられ、外部からの来談者に対する教育相談の窓口が開かれるようになった。そこでは主として幼児、学童、青年期のさまざまな不適応者、その親たちが年間に50〜80名来談するようになり、大学院生を中心に相談活動が活発になった。
 村山助教授は、精神分析学とは対照的に人間性心理学をベースにして臨床パーソナリティー論を展開し、対象を健康人の心理的成長に拡大した。一方、心理臨床家の養成・訓練の基礎として、学部や大学院の演習を心理的成長の契機とする体験学習を組み込み、さらに体験を事例として考察したり、体験をリサーチに組み入れて研究に組み込んでいくモデルを開発した。プログラム内容としては、エンカウンター・グループ体験、トライアル・カウンセリング体験、フォーカシング体験などを学部生と大学院生の相互成長体験として位置付けた。このように、体験と研究の統合をめざすところにモデルの特徴があった。前田教授が心理教育相談室のカンファレンスで臨床実践の指導を行い、前田教授の事例研究とカンファレンスは相談員に必修とした。
 心理教育相談室を中心とした臨床実習の充実と強化は大学院生の要望が強いばかりでなく、心理臨床家の養成・訓練の要となるものである。そこで前田教授、成瀬教授らと協力しながら、昭和50年に「心理臨床研究」という教育相談室の機関誌を創刊した。「心理臨床研究」には副題に事例、理論、リサーチとつけられているところに特色がある。京都大学の「臨床事例研究」と好対照をなしている。これは大学院生達のアイデンティティを高める役割を果たすとともに、研究と実践の発表の場を確保する意味を担うものであった。この事業を続けるため、毎夏「夏期カウンセリング公開講座」を開催し、数年継続させた。これは、学外にカウンセリング講座を認知させる大きな効果があった。
 昭和56年は画期的な年になった。七大学教育学部長会議の意を受けた前田教授らの文部省との交渉の結果「心理教育相談室」が文部省公認の定員なしで事業費がつく「特別施設」として認可されることになったのである。これは日本の心理臨床の大学院教育に歴史的な意義を持った。九州大学は京都大学に次いで、全国二番目に認可され、初代心理教育相談室長に成瀬悟策教授が就任した。また、「心理臨床研究」は六巻で廃刊として、その精神は新しく「九州大学心理臨床研究」として継続し、発展することとなったのである。
 さらに昭和57年には、日本心理臨床学会が発足し、教育運営で多くの協力を得ていた成瀬教授を大会委員長、村山助教授を事務局長として日本心理臨床学会第一回大会を開催した。学会事務局を心理教育相談室に置き、今日八千名を超える大学会に成長する基礎作りに貢献した。またこの年は、日本人間性心理学会も創設され、機関誌「人間性心理学研究」の編集局もほぼ同時に九州大学に設置された。
 九州大学が注目されたのは精神分析、人間性心理学、動作学といった理論的には対立する諸学派が並立し、柔軟で現実に役立つ多様な心理臨床を理念として発展してきたことがあり、他大学には見られない特徴である。これは前田教授の識見と人柄に負うところが大きい。院生たちは安心して、自分のアイデンティティを確立しながら研究と実践を行うことができた。前田教授が相談室長に就任後は、曜日当番制など、心理臨床家の養成訓練システムの充実がはかられた。このシステムは、京都大学とならんで心理臨床家養成モデルとして「心理臨床学研究」特別号に掲載されている。平成4年には前田教授が退官、村山教授が相談室長に就任した。
 平成3年10月には、精神分析医で北山医院・院長として開業していた北山修助教授が着任した。その前後より精神分析学の国際的交流の促進と国内の研究と実践の一大拠点として注目され、発展を続けている。前田教授の時代から精神分析学を重視し、これを授業科目として常時開講している本学は世界的にも貴重な存在であり、その伝統を継承する北山助教授は平成6年に教授となる。村山教授の人間性心理学の伝統や、障害児心理学の流れ等を統合すると他の追随を許さない内容となる。
 村山教授の広い見識と人間関係に支えられてカウンセリング講座は成長し、村山、北山両教授が日本心理臨床学会の常任理事を務めることになった。その結果、平成7年には日本心理臨床学会第14回大会を開催、村山教授を委員長、北山教授を事務局長として大会を統括した。平成8年4月に野島一彦助教授が着任し、平成9年3月に村山教授が退官した。
 北山教授は、精神分析学をその臨床の基礎に据え、臨床において使用される言葉の視点や日本文化を深く考慮する姿勢を示し、日本語臨床研究会を全国規模で行うようになる。平成9年10月には、日本精神分析学会第43回大会を、北山教授が実行委員長となって開催するに至る。また村山教授の退官後は北山教授が相談室の室長となり、野島助教授とともに他の臨床系教官の協力を得て、学部から大学院と続く一貫した臨床教育の更なる整備と充実を実現した。具体的に言うと、大学院の授業ではケース・カンファレンスが行われ、そこでは参加者が相談室の事例を報告し意見を述べ合い、一方でインテーク・カンファレンスの時間を設け、加えて夏休みには病院などでの実習を行うものである。
 平成10年4月には、野島助教授が教授に昇進するとともに、相談室の室長となった。野島教授は、来談者中心療法(パーソン・センタード・アプローチ)をベースにして、グループ・アプローチ(健康な人達の心理的成長、人間関係が大事な職業についている人達の研修などを目指すエンカウンター・グループと、精神分裂病などの人達の心理的治療を目指す集団精神療法)、個人カウンセリング(教育相談、学生相談、病院などの領域)、スーパービジョン(個人臨床、グループ臨床などを行っている心理臨床家養成)の研究・実践を行っている。
 また同年4月には、高橋靖恵助教授が着任した。心理系の女性教官第一号である。高橋助教授は、ロールシャッハ・テストを中心とする心理アセスメントが専門であるが、家族コミュニケーション、青年期の心理療法にも造詣が深い。心理アセスメントの重要性は認識されていながらも、その専門家がいないことに悩んできたカウンセリング講座としては、これでより一層充実することになった。
 カウンセリング講座は、伝統的に異質な特徴を持つ教官で構成されてきている点に特色があるが、心理臨床の仕事自体がいろいろな意味での異質性の共存を目指すものであることを考えると、これは非常に大切なことであるように思われる。

                                   

 (『九州大学教育学部五十年史』,2000より)

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